大阪高等裁判所 昭和30年(う)979号 判決 1956年2月28日
控訴人 被告人 南勝男
弁護人 家藤信吉
検察官 志賀親雄 長木肇
主文
原判決を破棄する。
被告人を罰金五千円に処する。
右の罰金を完納することができないときは、金弐百五拾円を壱日に換算した期間被告人を労役場に留置する。
原審並びに当審における訴訟費用は被告人の負担とする。
理由
本件控訴の趣意は、本判決書末尾添附弁護人家藤信吉作成の控訴趣意書記載のとおりである。
所論は要するに、原判示の被害者植田金吾が、自動二輪車に乗つて木津中学校玄関から衝突地点まで距離三十六メートル二七の下り勾配を時速約四十キロメートルで飛び出して来たのであつて、その所要時間は一秒ないし二秒未満であるから、原判決の言うように、前方注視、左右側注視、警笛吹鳴、速力の適宜減少等の具体的行為をする時間的余裕がない、被告人としては被害者を約十メートル手前で発見するや、直ちに急停車の処置をとりハンドルを右に廻わすより他に施すべき術なき状態であつたから、本件の事故を未然に防ぐことは不可能であつて、本件は結局被害者自らの全面的過失によるものである、また、本件現場附近は人家がなく交通まれで道路上の見透しもよく、事故発生時は同校の授業中であつて、校門附近は生徒の出入のない時刻であつたから、生徒の登校退校時のように自動車の速度を減少する必要がなかつた、従つて、原判決が警笛吹鳴、速力減少等の注意義務があると判決し本件が被告人の過失によるものとして有罪の認定をしたのは、事実を誤認し法令の適用を誤つたものである、というのである。乗合自動車の運転に従事する者が、中学校の正門前附近のように歩行者又は自転車等の出入のひん繁な道路を進行する際にはあらかじめ警音器を吹鳴して校門を出入しようとする者に警告するとともに、前方並びにその左右を警戒して校門出入者の有無に注意し、その出入者と衝突のおそれがあるときは何時でも停車し得る程度に速度を減少する等事故の発生を未然に防止するべき業務上の注意義務がある。そして、学校が授業時間中であつても、人が徒歩又は自転車等で走り出して来るおそれのあることは当然予想し得るところであるから、自動車運転者は、登校又は退校時たると授業時間中たるとを問わず、右の注意義務を負つていると言わなければならない。もとより、自動二輪車を操縦する者が校内から公道に出るときには、一時停車するか又は徐行して公道を通過する乗合自動車に進路を譲らなければならない(道路交通取締法第十八条第一項参照)から、右の者が乗合自動車の進行に注意せず不用意に公道に走り出て来て乗合自動車と衝突したとすれば、右の自動二輪車の操縦者に過失のあることはもちろんであつて、それが乗合自動車運転者の視界の及ぶ範囲外かち突然飛び出して来たため危害の発生を避ける余裕がなかつたような場合には、一応所論のように不可抗力と言えるが、被害者に過失があつても、被告人の過失が事故発生原因の一部分となつている以上、被告人に対して過失致死傷罪の成立することは多言を要しないところであるかあるから、その前段階において、乗合自動車の運転者が、その注意義務に違反し、危険の発生を予測し得るにかかわらず不注意によつて予測せず、又はこれを予測しながら懈怠により、前方注視、警音器吹鳴、速力減少等適当な手段を採らなかつた場合には、被害者の接近を知つたときにはすでに衝突をさける余裕がなかつたとしても、過失の責任を免れることができないのである。
原判決の拳示する証拠及び当審証人古川市蔵、同堀田俊三の各供述調書並びに当審における検証調書の記載を綜合すればヽ被告人は、奈良電気鉄道株式会社の乗合自動車の運転業務に従事するものであるが、昭和二十九年二月四日午前十時十六分頃、同会社の乗合自動車に乗客約二十五名を乗せて運転し、京都府相楽郡木津町大字相楽小字高下附近の国道上を中央からやや左寄りに時速約四十キロメートルで西進し、木津中学校正門(道路の左側)附近に差しかかつたところ、同校の生垣は植栽後間もなく枝葉疎であり、かつその内庭は道路に向つて下り傾斜になつているので、道路上の乗合自動車から見れば、校門から約三十六メートル東方において生垣の上又は中を通して校門内を見透し得る状況であるにかかわらず、授業時間中だから校門出入者はあるまいと軽信し、校門出入者への警戒を怠つて、前方左側を注視せず、かつ警音器を吹鳴せず、漫然約四十キロメートルの速度で進行を続けたため、おぉから自動二輪車に乗つて前記中学校玄関から校門を通つて国道上に出ようとする同校校長植田金吾(当時五十三年)を左前方約十メートルの地点において始めて発見し、急いでハンドルを右に切るとともに急停車の措置を採つたが及ばず、同人の自動二輪車に右乗合自動車の車体前部中央を衝突させて右自動二輪車とともに植田金吾を顛倒させ、約八メートルの間押して行つてようやく停車したのであつて、そのため植田に対し頭蓋骨骨折等の傷害を負わせ、同日死亡するに至らしめたことを認め得られる。
原審証人石山修、原審並びに当審証人古川市蔵の各供述、原審鑑定人斎藤義光の鑑定の結果によれば、被害者植田は、木津町役場へ行くため同校玄関前において自動二輪車に始動をかけたがかからず二回目にかかつて発進し、約四十キロメートルの時速をもつて校門を通過し国道を北北東に旋回しようとしたため、西進中の被告人操縦の乗合自動車の正面に衝突したものであることを認め得られるから、被害者側において乗合自動車に進路を譲らなかつた過失のあることは所論のとおりであるが、被告人は、同校正門前を通過するに当つて、前述の注意義務を怠り、校門附近を注視せず、警音器を吹鳴せず、速力を安全速度に減少しなかつた過失があるから、業務上過失致死罪の成立は免れない。原判決の事実認定並びに注意義務の解釈は正当であつて、記録を精査しても、原判決には所論のような違法はないから、論旨は理由がない。
しかし、職権をもつて量刑の点を考えてみるに、本件においては前叙のように、被害者の過失が事故発生の重要な原因の一つとなつているのであるから、原審の量刑は重きに過ぎると思われる。原判決はこの点において破棄を免れない。
よつて、刑事訴訟法第三百九十七条、第三百八十一条に従い原判決を破棄し、同法第四百条但し書によつて更に判決をする。
原判決の認定した事実に、刑法第二百十一条、罰金等臨時措置法第二条、第三条、刑法第十八条、刑事訴訟法第百八十一条第一項本文を適用して主文のとおり判決する。
(裁判長判事 松本圭三 判事 川崎薫 判事 辻彦一)